【都道府県】 山形県
【市町村】 最上郡舟形町
【面積】 119.04km2
【人口】 4,995人(2021年2月1日)
【人口密度】 42人/km2
【町役場】 山形県最上郡舟形町舟形263番地
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概要
1954年(昭和29年)12月1日に舟形村と堀内村が合併し、舟形町誕生。
山形県の北部にある人口約5千人の町。
最上川に東の最上町から流れる小国川が合流する地点にできた町。
舟形町が初めて歴史に登場するのは、8世紀に行われた大野東人の東征である。
東人が通った道に「避翼(さるはね)」の地名があり、この頃に多賀城から現在の秋田県内陸南部を通って秋田城へ向かうルートとして登場した。
延喜式の兵部省「諸国駅伝馬条」には、庄内地方を経由して日本海沿岸を秋田城へ向かう官道に、「避翼駅 駅馬十二疋、伝馬一疋・船六隻」の記述が出てくる。
この駅亭は水駅と思われ、現在の富田地内の最上川沿いにあったと推定されている。
なお、「さるはね」は「猿跳」とも表記され、その地名は猿羽根峠に残っている。
江戸時代には、参勤交代路としても使われた羽州街道の宿場町として発達した。
ここから猿羽根峠を越えて村山地方へ向かい、東は最上街道で仙台藩へ、西は舟形街道を通って庄内藩・出羽三山へと通じる交通の交差点であった。
新庄藩の藩境であったことから、口留番所が置かれ、人や物資の監視を厳しく行った。
富田は、最上川水運の港のひとつとして繁栄し、新庄藩と天領の境界にも位置していたため、その対岸の堀内には新庄藩の舟番所が設置されていた。
明治時代になると、舟形町・最上町・尾花沢市を中心とした地域に、当時岐阜県・宮城県と並んで「日本三大亜炭田」と呼ばれた「最上炭田」が発見され、町内でも多くの炭鉱で亜炭の採掘が行われ、舟形駅や長沢駅から亜炭が運び出された。
●【河川】
最上川、最上小国川
【中学校】
舟形中学校
【小学校】
舟形小学校
【JR東日本 奥羽本線(山形線)】
舟形駅
【JR東日本 陸羽東線】
東長沢駅、長沢駅
【道路】
国道13号、国道47号、山形県道30号大石田畑線、山形県道31号舟形大蔵線、山形県道36号新庄次年子村山線、山形県道56号新庄舟形線
【名所・旧跡・観光スポット】
西ノ前遺跡、若あゆ温泉、猿羽根山地蔵尊、県民ゴルフ場、長沢の虫送り、長沢和紙
【著名な出身人物】
伊藤茂(政治家)、大場啓二(政治家)、栃櫻光輝(大相撲力士)